第1次世界大戦の時に、チンタオを攻撃し、敗れたドイツ兵約5000人が俘虜となり、日本各地の収容所に送られたそうです。その中の一つの板東俘虜収容所がここにあり、それを記念して建てられたものです。2階は展示室となっていて、当時の俘虜の生活を知ることが出来ます。
約1000人が収容されたこの収容所の所長、松江所長は、大変人道的な人で、上層部の意志に背いてまでも、人権を尊重し俘虜に寛容な待遇を与えたそうです。そのことから、地元の人との間に技術や文化の交流が活発に行われました。その時のドイツのパン作りの技術を受け継いだ店が今も鳴門にあります。 音楽活動も出来、日本で初めて交響曲第9番が全曲演奏されたという史実には驚きました。1917年から3年間をこの収容所で過ごしたドイツ兵は解放されてからも、国へ帰らず、日本に留まった人もいたそうです。
めがね橋 ドイツ橋
ドイツ兵が母国の技術を生かして、作った橋。90年近く経っても崩れていないのはさすが!
ロケセット
2006年春公開予定の映画 「バルトの楽園」の撮影が11月から始まります。そのための俘虜収容所のセットが跡地のすぐ近くに出来ていました。 松江所長を松平健さんが演じるらしく、とても楽しみです。
賀川豊彦記念館
ドイツ館の隣にあり、共通券500円で両方見ることが出来ます。 どういう方か知らないで入ったのですが、キリスト教に導かれて、スラム救済活動を行い、貧しい人を救うには他のやり方が必要と、労働、農民運動、普通選挙運動生活協同組合運動などに取り組み、昭和初期には反戦運動にも立ち上がったという、その生涯にとても感銘を受けました。 ガンジーやアインシュタインらとともに「徴兵廃止の誓い」を国際連盟に提出し平和運動も進めたそうです。 小説「死線を越えて」を執筆。
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